酔古堂剣掃 / 集倩・胸中の丘壑
案頭峰石,四壁冷浸煙雲,何與胸中丘壑;枕邊溪聲,半榻寒生瀑布,爭如舌底鳴泉。
新字:案頭峰石,四壁冷浸煙雲,何与胸中丘壑;枕辺渓声,半榻寒生瀑布,争如舌底鳴泉。
書き下し
案頭の峰石、四壁冷やかに煙雲に浸る、何ぞ胸中の丘壑に與らん。 枕邊の溪聲、半榻寒く瀑布を生ず、爭でか舌底の鳴泉に如かん。
現代語訳
机の上に置いた山の形の石は、部屋の四方の壁まで冷ややかに雲霧に浸すようですが、それが胸の中にある山や谷とどれほど関わりがあるでしょうか。枕元に聞こえる谷川の音は、寝台の半ばを冷たくして滝を生み出すようですが、どうして舌の下から湧き出る泉のような言葉に及ぶでしょうか。
解説
外にある山水の趣よりも、内にある山水が大切だと説く一則です。案頭峰石は机の上に飾る山の形をした奇石で、明の文人たちは小さな石に大自然を見立てて愛玩しました。胸中丘壑は、心の中に山や谷を持っていること、つまり自然を愛する広い心や、豊かな構想を抱いていることを言います。東晋の謝鯤が、一丘一壑では自分のほうがすぐれていると言った話がもとになった言葉です。舌底鳴泉は、舌の下から泉がほとばしるように、言葉が尽きることなく湧き出ること、弁舌や詩文の才能を指します。どんなに美しい石や水音をそばに置いても、それを味わう心の中に山水がなければ意味がない、というのです。持ち物をそろえる前に、それを味わう心を養うことの大切さを教えてくれます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
修身山水言葉風雅内面
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