酔古堂剣掃 / 集倩・功を使ふは過を使ふに如かず
何處得真情,買笑不如買愁;誰人效死力,使功不如使過。
新字:何処得真情,買笑不如買愁;誰人効死力,使功不如使過。
書き下し
何れの處にか真情を得ん、笑ひを買ふは愁ひを買ふに如かず。 誰人か死力を效さん、功を使ふは過を使ふに如かず。
現代語訳
どこで本当の心を得られるでしょうか。笑いを買うのは愁いを買うのに及びません。誰が命がけで力を尽くしてくれるでしょうか。手柄のある人を使うのは、過ちを犯した人を使うのに及びません。
解説
人の本心と、人の使い方についての逆説を並べた一則です。買笑は、金を払って笑顔を買うこと、つまり宴席などで表面的な楽しさを求めることです。それよりも、愁いを分かち合うほうが真の情が得られると言います。楽しいときの付き合いより、悲しみを共にした相手との間にこそ本当の心が通うというのは、実感としてもうなずけるところです。後半の使功不如使過は古くからの言葉で、唐の高祖が、かつて自分を告発しようとした李靖を許して用いたときの言葉としても知られます。すでに手柄を立てた人は慢心しやすいが、過ちを許された人は恩に報いようと死力を尽くす、という人間観察です。失敗した部下に再び機会を与えることが、その人の最も強い力を引き出すことがあるのです。
この章句が説くこと
用人真情処世許し治政
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