史記 / 伯夷列伝
孔子曰、伯夷・叔齊、不念舊惡、怨是用希。求仁得仁、又何怨乎。余悲伯夷之意、睹軼詩可異焉。其傳曰、
新字:孔子曰、伯夷・叔斉、不念旧悪、怨是用希。求仁得仁、又何怨乎。余悲伯夷之意、睹軼詩可異焉。其伝曰、
書き下し
孔子曰く、「伯夷・叔斉は旧悪を念はず、怨み是を用て希なり。」「仁を求めて仁を得たり、又何をか怨みん。」余、伯夷の意を悲しむ。軼詩を睹るに異なれりとす可し。其の伝に曰く、
現代語訳
孔子は言った。「伯夷・叔斉は過去の恨みをいつまでも心に留めなかった。だから人を怨むことがめったになかった。」「仁を求めてまさに仁を得たのだ。今さら何を怨むことがあろうか。」私(司馬遷)は伯夷の心情を思うと哀しくなる。世に伝わらない詩(軼詩)を見ると、孔子の評とは少し違う印象も受ける。その伝記にはこうある――。
解説
過去の遺恨を手放すこと(許し)と、自分の価値観に忠実に生きることの強さを説いた孔子評です。伯夷は「旧悪を念わず」、つまり過ぎたことへの恨みを引きずらないからこそ、人間関係で怨みをためこまない。そして「仁を求めて仁を得た」――自分が本当に大切にする価値を選び取った者は、その結果に後悔しない。組織においても、過去の失敗や対立を蒸し返し続けるリーダーは信頼を損ないます。一方、自らの信念に沿って選んだ道であれば、たとえ困難な結果になっても揺らがない軸となります。司馬遷が「哀しい」と付け加える点に、理想と現実のギャップへの複雑な視線が表れています。
この章句が説くこと
許し旧悪怨みを残さない仁信念価値観
関連する章句
-
史記 伯夷列伝伯夷・叔齊、孤竹君之二子也。父欲立叔齊、及父卒、叔齊讓伯夷。伯夷曰、父命也、遂逃去。叔齊亦不肯立而逃之。國人立其中子。於是伯夷・叔齊聞西伯昌善養老、盍往歸焉。及至、西伯卒、武王載木主、號為文王、東伐紂。伯夷・叔齊叩馬而諫曰、父死不葬、爰及干戈、可謂孝乎。以臣弒君、可謂仁乎。左右欲兵之。太公曰、此義人也、扶而去之。武王已平殷亂、天下宗周、而伯夷・叔齊恥之、義不食周粟、隱於首陽山、采薇而食之。及餓且死、作歌。其辭曰、登彼西山兮、采其薇矣。以暴易暴兮、不知其非矣。神農・虞・夏忽焉沒兮、我安適歸矣。于嗟徂兮、命之衰矣。遂餓死於首陽山。
-
論語 憲問篇子曰:邦有道,危言危行;邦無道,危行言孫。
-
論語 微子篇微子去之,箕子為之奴,比干諫而死。孔子曰:殷有三仁焉。
-
論語 里仁篇子曰、惟仁者能好人、能惡人。
-
論語 八佾篇子曰:人而不仁、如禮何;人而不仁、如樂何。
-
論語 八佾篇齊人伐燕、勝之。或問曰:『仁乎?』子曰:『奚仁之有?夫燕國小、不能事大。』