甲陽軍鑑 / 品第四十八
扨又此公事の意趣は山縣三郞兵衞同心小菅五郎兵衞には山縣三郞兵衞從弟といひ、かた〳〵もつての儀なれば、駿河はじめて出張の時六年先にざいをゆるし給ふ、それは辰の年なり、さありて此度廣瀨·みしな兩人にも小菅なみに、ざいをゆるし下さるゝは六年後酉年なり、辻彌兵衞是れを聞て目安をかき廣瀨·みしな兩人をあひてにて武邊公事を仕る、奉行は眞田喜兵衞·曾根內匠·三枝勘解由左衞門·今井新左衞門四人なり、
新字:扨又此公事の意趣は山県三郎兵衛同心小菅五郎兵衛には山県三郎兵衛従弟といひ、かた〳〵もつての儀なれば、駿河はじめて出張の時六年先にざいをゆるし給ふ、それは辰の年なり、さありて此度広瀨·みしな両人にも小菅なみに、ざいをゆるし下さるゝは六年後酉年なり、辻弥兵衛是れを聞て目安をかき広瀨·みしな両人をあひてにて武辺公事を仕る、奉行は真田喜兵衛·曽根内匠·三枝勘解由左衛門·今井新左衛門四人なり、
書き下し
扨又此公事の意趣は山県三郎兵衛同心小菅五郎兵衛には山県三郎兵衛従弟といひ、かた〳〵もつての儀なれば、駿河はじめて出張の時六年先にざいをゆるし給ふ、それは辰の年なり、さありて此度広瀨·みしな両人にも小菅なみに、ざいをゆるし下さるゝは六年後酉年なり、辻弥兵衛是れを聞て目安をかき広瀨·みしな両人をあひてにて武辺公事を仕る、奉行は真田喜兵衛·曽根内匠·三枝勘解由左衛門·今井新左衛門四人なり、
現代語訳
さてまた、この公事の意趣は、山県三郎兵衛の同心の小菅五郎兵衛には、山県三郎兵衛の従弟と言い、方々もっての儀なれば、駿河へ初めて出張の時、六年先に在を許し給う。それは辰の年なり。そうであって、この度、広瀬・三品の両人にも小菅並みに在を許し下さるるは六年後の酉の年なり。辻弥兵衛はこれを聞いて目安を書き、広瀬・三品の両人を相手にて武辺公事を仕る。奉行は真田喜兵衛・曾根内匠・三枝勘解由左衛門・今井新左衛門の四人なり。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 伯夷列伝孔子曰く、「伯夷・叔斉は旧悪を念はず、怨み是を用て希なり。」「仁を求めて仁を得たり、又何をか怨みん。」余、伯夷の意を悲しむ。軼詩を睹るに異なれりとす可し。其の伝に曰く、
-
論語・公冶長篇子曰く、伯夷・叔斉、旧悪を念わず。怨み是を用て希なり。
-
『甲陽軍鑑』品第四十七上下の批判に、曲淵をまねて手がらもなき者は中々いはんとも思ふまじ、又功もなくしていふならば、よその気まうもはづかしかるべし、心有るほどの人は手抦なくしてはいはんとも、おもはずいふてもおかしき事也と、諸人取りさたは信玄公御ことばに心の付らるゝ御意の故なり、
-
『甲陽軍鑑』品第四十八御主殿に於て広瀨郷左衛門·みしな肥前両人、一方は又辻弥兵衛左右方の申分あり、先広瀨·みしな申す、公事は何様の者共仕べく候へども、武辺·公事の儀はあひ手によりての儀にて御座候、彼弥兵衛永禄四年川中島合戦初陣にて当年まで十三ヶ年ならで陣は仕候はず候、其上未だ年も二十九歳、武辺の御證文とても二三の儀なり、
-
『甲陽軍鑑』品第四十八さて弥兵衛が二番目の弟甚内にも五貫の御加恩、是は一条殿の衆なり、三番目辻弥惣にも五貫の御加恩是は又土屋右衛門尉衆なり、辻弥兵衛が威光をもつて弟の甚内·弥惣までに增知行これ有、但し甚内兄の弥兵衛に結句ましのおぼへ有、さて又みしな·広瀨をば御旗屋へ召よせられ、しかも本のさいはいゆるし下さるゝ、あさからぬ冥加のおほへ者也とほめざる人はなかりける、
-
『甲陽軍鑑』品第四十八そこにてみしな申は、さいはいを手にかくるより上の兵は有まじといへば、辻弥兵衛申は、さあらばかた〳〵の三十一年こうさをつむ事は諸傍輩におとりたる儀を、何とて日来山県三郎兵衛同心被官の内に広瀨·みしな両人をこしたる覚への者有間敷と、いんげんを申つるぞ、さいはいは今年今月こそ免され申せといへば、