酔古堂剣掃 / 集倩・禪榻二つを設く
設禪榻二,一自適,一待朋。朋若未至,則懸之。敢曰:“陳蕃之榻,懸待孺子,長史之榻,專設休源。”亦惟禪榻之側,不容著俗人膝耳。詩魔酒顛,賴此榻袪醒。
新字:設禅榻二,一自適,一待朋。朋若未至,則懸之。敢曰:“陳蕃之榻,懸待孺子,長史之榻,専設休源。”亦惟禅榻之側,不容著俗人膝耳。詩魔酒顛,頼此榻袪醒。
書き下し
禪榻二つを設け、一は自ら適し、一は朋を待つ。 朋若し未だ至らざれば、則ち之を懸く。 敢へて曰はんや、「陳蕃の榻、懸けて孺子を待ち、長史の榻、專ら休源に設く」と。 亦た惟だ禪榻の側、俗人の膝を著くるを容れざるのみ。 詩魔酒顛、此の榻に賴りて袪醒す。
現代語訳
座禅用の腰掛けを二つ置き、一つは自分がくつろぐため、もう一つは友を待つためのものです。友がまだ来ないときは、それを壁に掛けておきます。とはいえ、「陳蕃が腰掛けを掛けて徐孺子を待ち、長史が孔休源のためだけに腰掛けを設けた」というような故事に自分をなぞらえるつもりはありません。ただ、この禅の腰掛けのそばに、俗な人の膝を置かせたくないだけなのです。詩にとりつかれた心も酒に乱れた頭も、この腰掛けのおかげで払い清め、醒ますことができます。
解説
友のためだけの腰掛けを用意するという、心憎い交友の作法を語った一則です。陳蕃は後漢の人で、豫章太守だったとき、他の客は迎えないのに、名士の徐孺子が来たときだけ特別な腰掛けを下ろし、帰ると壁に掛けておいたという話が『後漢書』に見えます。これが懸榻の故事で、賢人を特別に遇することのたとえになりました。長史の榻も、南朝の孔休源のために特に腰掛けを設けたという同じ趣旨の故事を指すと見られます。著者は、そうした名高い話に自分を重ねるつもりはないと謙遜しながら、俗な人にはこの席を使わせたくない、と本音を述べます。詩魔酒顛は、詩作に夢中になる心と酒に酔った乱れで、それを静める場としても腰掛けを役立てています。心を許せる友のための場所を、日頃から空けて待っているという姿勢には、友を大切にする心がよく表れています。
この章句が説くこと
交友故事禅隠逸待つ
関連する章句
-
『酔古堂剣掃』集豪・榻を懸けて賢士を待つ榻を懸けて賢士を待つは、豈に交情のみと曰はんや。轄を投じて好賓を留むるは、酒興に過ぎざるのみ。
-
『酔古堂剣掃』集素・洵に幽棲の勝事、野客の虛位なり郊中に野坐するは、固より荊を班くべし。 徑裏に閒談するは、最も石を拂ふに宜し。 雲煙を侵して獨り冷やかに、清嘯の胡床を移し開き、草木を藉りて以て幽を成し、莊嚴の蓮界を撤し去る。 況んや乃ち琴を枕にして夜奏すれば、逸韻更に揚がり、局を置きて午に敲けば、清聲甚だ遠きをや。 洵に幽棲の勝事、野客の虛位なり。
-
『酔古堂剣掃』集倩・友人の鬼を說くを聽く明窗凈幾、好香苦茗、時有りて高衲と禪を談ず。 豆棚菜圃、暖日和風、事無くして友人の鬼を說くを聽く。
-
『酔古堂剣掃』集倩・孤榻雨中の山に對す客有りて柴門に到れば、清尊江上の月に開く。 人の蒿徑を剪る無ければ、孤榻雨中の山に對す。
-
『酔古堂剣掃』集韻・詩酒の間にも自ら禪趣有り雲衲の高僧、水に泛び山に登るは、或いは藉りて以て點綴す可し。如し必ず蓮座に法を說かば、則ち詩酒の間にも、自ら禪趣有り、敢へて苦行頭陀を學びて、以て死灰と作らず。
-
『酔古堂剣掃』集韻・莊嚴の蓮坐を撤去す雲煙を侵して獨り冷やかなれば、清笑の胡床を移し開き、竹木を借りて以て幽を成せば、莊嚴の蓮坐を撤去す。