酔古堂剣掃 / 集豪・榻を懸けて賢士を待つ
懸榻待賢士,豈曰交情已乎;投轄留好賓,不過酒興而已。
書き下し
榻を懸けて賢士を待つは、豈に交情のみと曰はんや。轄を投じて好賓を留むるは、酒興に過ぎざるのみ。
現代語訳
腰掛けを壁に吊るしておいて賢者の来訪を待つのは、どうして単なる友情だけと言えるでしょうか。車のくさびを井戸に投げ込んでまで客を引き留めるのは、酒の興にすぎません。
解説
二つの故事を対比して、人を迎える心の深さを比べた一則です。懸榻は、後漢の陳蕃が徐稺という賢者のためだけに腰掛けを用意し、帰ると壁に吊るしておいた話に基づきます。投轄は、漢の陳遵が客を帰さないように車軸のくさびを井戸に投げ込んだ話です。前者は賢者への敬意から出たもの、後者は酒席のにぎわいを惜しむだけのものだと著者は区別します。同じ歓待でも、その根にある心によって値打ちが違います。人を招くとき、相手の何を敬って迎えているのかを考えたいものです。
この章句が説くこと
交友礼節敬意賢者歓待
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呂氏春秋・贊能①賢者は人に善くするに人を以てし、中人は事を以てし、不肖者は財を以てす。十の良馬を得るは、一の伯樂を得るに若かず。十の良劍を得るは、一の歐冶を得るに若かず。地千里を得るは、一の聖人を得るに若かず。舜、皋陶を得て、舜、之を受く。湯、伊尹を得て夏民を有ち、文王、呂望を得て殷商を服す。夫れ聖人を得れば、豈に里數有らんや。
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『墨子』尚同中又た其の鄉の萬民を率いて以て國君に尚同して曰く、「凡そ鄉の萬民は、皆な國君に上同して、敢えて下に比せざれ。國君の是とする所は必ず亦た之を是とし、國君の非とする所は必ず亦た之を非とせよ。而の不善の言を去りて、國君の善言を學び、而の不善の行を去りて、國君の善行を學べ」と。國君は固より國の賢者なり。國人を舉げて以て國君に法らしむ。夫れ國、何の説あってか治まらざらんや。國君の國を治めて國治まる所以の者を察するに、何の故を以てするか。曰く、唯だ其の能く其の國の義を一同するを以てなり。是を以て國治まる。
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孫子・九変篇是の故に智者の慮は、必ず利害に雑う。利に雑えて務め信なる可きなり。害に雑えて患い解く可きなり。
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