酔古堂剣掃 / 集倩・茗賞は上なり
中郎賞花云:“茗賞上也,談賞次也,酒賞下也。茶越而酒崇,及一切庸穢凡俗之語,此花神之深惡痛斥者。寧閉口枯坐,勿遭花惱可也。”
新字:中郎賞花云:“茗賞上也,談賞次也,酒賞下也。茶越而酒崇,及一切庸穢凡俗之語,此花神之深悪痛斥者。寧閉口枯坐,勿遭花悩可也。”
書き下し
中郎、花を賞して云ふ、「茗賞は上なり、談賞は次なり、酒賞は下なり。 茶越えて酒崇び、及び一切庸穢凡俗の語は、此れ花神の深く惡み痛く斥くる者なり。 寧ろ口を閉ぢて枯坐すとも、花の惱みに遭ふこと勿くして可なり」と。
現代語訳
袁中郎(明の袁宏道)は花の楽しみ方についてこう言っています。「茶を飲みながら花を観賞するのが最上で、語り合いながら観賞するのがその次、酒を飲みながら観賞するのは最も下です。茶をないがしろにして酒をあがめること、そしてあらゆる平凡で汚れた俗な言葉は、花の神が深く憎み、厳しく退けるものです。むしろ口を閉じてじっと座っているほうがよく、花を悩ませるようなことがなければそれでよいのです。」
解説
明末の文人袁宏道が生け花について書いた『瓶史』の言葉を引いた一則です。中郎は袁宏道の字です。花の楽しみ方に上中下の格付けをし、茶とともに静かに観賞するのが最もよく、酒を飲んで騒ぐのは最も下だと言います。原文の「茶越而酒崇」は『瓶史』の本文と字句が違っていて意味が取りにくいところですが、茶を退けて酒を重んじることと解して訳しました。さらに、俗っぽい話も花の神が嫌うので、何も言えないならむしろ黙って座っているほうがよい、と説きます。花を人格ある存在として敬い、その前でのふるまいを慎むという態度が表れています。お花見が宴会中心になりがちな今、花そのものを静かに味わう時間を持つことの贅沢を思い出させてくれる言葉です。
この章句が説くこと
花茶袁宏道風雅沈黙
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