酔古堂剣掃 / 集倩・午夜松下に箕踞す
午夜箕踞松下,依依皎月,時來親人,亦復快然自適。
新字:午夜箕踞松下,依依皎月,時来親人,亦復快然自適。
書き下し
午夜松下に箕踞すれば、依依たる皎月、時に來たりて人に親しむ、亦た復た快然として自適す。
現代語訳
真夜中に松の木の下で足を投げ出して座っていると、名残惜しげな白く明るい月が、ときおりやってきて人に寄り添います。これもまた、気持ちよく心のままに楽しめるひとときです。
解説
真夜中に一人、松の下で月と過ごす楽しみを描いた一則です。午夜は真夜中、箕踞は両足を前に投げ出して座ることで、礼儀にかなわない気ままな座り方とされます。人目のない夜中だからこそできる、くつろいだ姿です。依依は離れがたく慕わしいさまで、ここでは月がまるで人を慕って寄ってくるように感じられることを言います。松の枝の間から月が見えたり隠れたりする様子を、時に来たりて人に親しむと表現しているのでしょう。快然自適は、気持ちよく、自分の思うままに楽しむことです。誰にも気兼ねせず、月を友として過ごす夜は、孤独ではなく満ち足りた時間として描かれています。一人でいる時間を寂しさではなく自由として味わえることは、大人の心の豊かさの一つでしょう。
この章句が説くこと
閑適月松自適孤独
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