酔古堂剣掃 / 集倩・澗口に泉有りて鶴飲む
澗口有泉常飲鶴,山頭無地不栽花。
書き下し
澗口に泉有りて常に鶴に飲ましめ、 山頭に地として花を栽ゑざるは無し。
現代語訳
谷の入り口には泉があって、いつも鶴に水を飲ませています。山の頂には、花の植えられていない土地はどこにもありません。
解説
仙境か理想の隠れ住まいを思わせる、清らかな山の風景を詠んだ一則です。澗口は谷川の出口、谷の入り口のことです。そこに湧く泉が鶴の水飲み場になっているという情景は、鶴を友とする仙人や隠者の暮らしを連想させます。後半では、山の上のどこにでも花が植えられていると言い、住む人が長い年月をかけて山を花で満たしてきたことがうかがえます。自然をそのまま受け入れつつ、少しずつ手を加えて美しくしていく暮らしぶりが見えてきます。鶴と泉、山と花という取り合わせには、清らかさと華やかさの両方があります。自分の暮らす場所に、少しずつでも花を植え、生き物が集まる環境をつくっていくことは、今でも心を豊かにしてくれる営みでしょう。
この章句が説くこと
隠逸自然花鶴山居
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