酔古堂剣掃 / 集倩・窗を推して河漢を仰ぐ
焚香看樹,人事都盡,隔簾花落,松梢月上,鐘聲忽度;推窗仰視,河漢流雲,大勝晝時,非有洗心滌慮得意爻象之表者,不可獨契此語。
新字:焚香看樹,人事都尽,隔簾花落,松梢月上,鐘声忽度;推窗仰視,河漢流雲,大勝昼時,非有洗心滌慮得意爻象之表者,不可独契此語。
書き下し
香を焚きて樹を看れば、人事都て盡き、簾を隔てて花落ち、松梢に月上り、鐘聲忽ち度る。 窗を推して仰ぎ視れば、河漢に雲流れ、大いに晝時に勝る。 心を洗ひ慮を滌ひて意を爻象の表に得る者有るに非ずんば、獨り此の語に契ふべからず。
現代語訳
香を焚いて木々を眺めていると、人の世のことはすっかり消え去り、簾の向こうで花が散り、松の梢に月が昇り、鐘の音がふと渡ってきます。窓を押し開けて仰ぎ見ると、天の川に雲が流れ、昼間よりもはるかにすばらしい眺めです。心を洗い思いを清めて、易の卦や象の外に意味をつかみ取るような人でなければ、この言葉にひとりで心から通じ合うことはできないでしょう。
解説
夜の静けさの中で心が澄んでいく過程を、順を追って描いた一則です。香を焚き、木を眺め、花が散り、月が昇り、鐘が響き、窓を開けて天の川を仰ぐと、情景が少しずつ広がっていきます。河漢は天の川です。後半の洗心は『易経』繋辞伝の、聖人は易によって心を洗うという言葉に由来します。得意爻象之表は、易の卦の線や象という形の外に真意をつかむことで、三国魏の王弼が説いた、意を得たら象を忘れるという考え方を踏まえています。つまりこの味わいは、言葉や形にとらわれない澄んだ心の持ち主でなければわからない、と結んでいます。夜更けに窓を開けて空を見上げるという小さな行いも、心を整えて向き合えば深い体験になるのでしょう。
この章句が説くこと
静坐夜景易経風雅洗心
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