酔古堂剣掃 / 集倩・孤鶴に對して高眠す
沙村竹色,明月如霜,攜幽人杖藜散步;石屋松陰,白雲似雪,對孤鶴掃榻高眠。
新字:沙村竹色,明月如霜,攜幽人杖藜散歩;石屋松陰,白雲似雪,対孤鶴掃榻高眠。
書き下し
沙村の竹色、明月霜の如し、幽人を攜へ藜を杖つきて散步す。 石屋の松陰、白雲雪に似たり、孤鶴に對して榻を掃ひて高眠す。
現代語訳
砂浜の村に竹の色が映え、明るい月は霜のように白く、世を離れた友を連れて藜の杖をついて散歩します。石造りの家に松の影が落ち、白雲は雪のようで、一羽の鶴を前に寝台を払って悠々と眠ります。
解説
月夜の散歩と山家の昼寝を、白さを基調にした色彩で描いた一則です。前半では明月を霜に、後半では白雲を雪にたとえ、どちらも冷たく澄んだ白の世界をつくっています。幽人は俗を離れて静かに暮らす人、杖藜はあかざの茎で作った軽い杖をつくことです。後半の孤鶴は、仲間から離れて一羽でいる鶴で、隠者の清らかさの象徴としてよく詩に登場します。高眠は世事を気にせずゆったり眠ることです。前半は友と連れ立つ楽しみ、後半は一人で過ごす楽しみと、交わりと孤独の両方が並べられている点にも味わいがあります。人と過ごす時間と一人で過ごす時間、その両方を大切にすることが、心の均衡を保つ秘訣なのかもしれません。
この章句が説くこと
隠逸閑適月友孤独
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