酔古堂剣掃 / 集倩・倩は多く得べからず
倩不可多得,美人有其韻,名花有其致,青山綠水有其豐標。外則山臞韻士,當情景相會之時,偶出一語,亦莫不盡其韻,極其致,領略其豐標。可以啟名花之笑,可以佐美人之歌,可以發山水之清音,而又何可多得!集倩第十二。
新字:倩不可多得,美人有其韻,名花有其致,青山緑水有其豊標。外則山臞韻士,当情景相会之時,偶出一語,亦莫不尽其韻,極其致,領略其豊標。可以啓名花之笑,可以佐美人之歌,可以発山水之清音,而又何可多得!集倩第十二。
書き下し
倩は多く得べからず。 美人は其の韻有り、名花は其の致有り、青山綠水は其の豐標有り。 外は則ち山臞韻士、情景相會するの時に當たりて、偶ま一語を出だすも、亦た其の韻を盡くし、其の致を極め、其の豐標を領略せざるは莫し。 以て名花の笑ひを啓くべく、以て美人の歌を佐くべく、以て山水の清音を發すべし、而して又何ぞ多く得べけんや。 集倩第十二。
現代語訳
倩(あでやかな美しさ)は、めったに得られるものではありません。美人にはその人ならではの風韻があり、名花にはその花ならではの趣があり、青い山と緑の水にはその気高い姿があります。そのほか、山に住む痩せた隠者や風雅な文人が、心と景色がぴたりと出会ったときに、ふと一言を口にすると、それもまたその風韻を尽くし、その趣を極め、その気高い姿をつかみ取っていないものはありません。それは名花をほころばせ、美人の歌を助け、山水の清らかな音を響かせることができるものです。それをどうして多く得られるでしょうか。集倩第十二。
解説
十二集の最後、集倩の頭に陸紹珩が置いた小序です。倩はあでやかで美しいこと、見る人を引きつける魅力を言います。美人の韻、名花の致、山水の豊標と、三つの美しさを並べ、それぞれに固有の趣があることを示します。そのうえで、隠者や文人が景色と心の出会う一瞬に発した言葉にも、同じ美しさが宿ると述べ、この集がそうした言葉を集めたものであることを明かします。名花を笑わせ、美人の歌を助け、山水に清音を添えるという三句は、言葉が美を引き立てるはたらきを語っています。この集には風景や暮らしの趣、そして女性の美しさを詠んだ句が並びます。めったに得られない美を言葉で書きとめようとする編者の思いを受けとめて読みたい序です。
この章句が説くこと
風雅美小序自然情景
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