酔古堂剣掃 / 集法・志は一日も墜すべからず
志不可一日墜,心不可一日放。
書き下し
志は一日も墜すべからず、心は一日も放つべからず。
現代語訳
志は一日たりとも落としてはならず、心は一日たりとも放っておいてはなりません。
解説
志と心の二つについて、一日の油断も許さないと戒めた短い対句です。墜は志を地に落とすこと、放は心を野放しにしてどこかへさまよわせることです。放心という語は『孟子』に見え、孟子は、鶏や犬がいなくなれば探しに行くのに、失った心は探そうとしない、学問とはその放たれた心を求めることだと説きました。この句もその流れを受けています。一日という単位を持ち出しているところに厳しさがあります。志も心も、大きな挫折で一度に失うよりも、今日くらいはという小さなゆるみの積み重ねで失われていくものです。毎日少しでも志を思い出し、心を今ここに引き戻す習慣を持つことが、長い道のりを支えてくれるでしょう。
この章句が説くこと
立志修身放心継続自省
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