酔古堂剣掃 / 集法・必ず是れ虧を吃し過ぎたる者
世問會討便宜人,必是吃過虧者。
新字:世問会討便宜人,必是吃過虧者。
書き下し
世問に會く便宜を討むる人は、必ず是れ虧を吃し過ぎたる者なり。
現代語訳
世間でうまく得をすることのできる人は、きっと以前に損をしたことのある人です。
解説
損をした経験こそが、世渡りの知恵を育てると説いた一則です。原文の世問は、世間の写し違いと思われます。便宜を討むは、うまく得をすること、虧を吃すは損をすることを言う俗語です。うまく立ち回れる人は、生まれつき要領がよいのではなく、過去に痛い目にあって、どこに落とし穴があるかを知っているのだと言います。失敗や損は、その場ではつらいものですが、次に同じ過ちをしないための授業料になります。損をしたときには、何を学べるかを考えてみると、その経験が後の支えになるはずです。
この章句が説くこと
処世経験失敗知恵逆境
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