酔古堂剣掃 / 集法・窮途の景界歷ざるべからず
病中之趣味,不可不嘗;窮途之景界,不可不歷。
新字:病中之趣味,不可不嘗;窮途之景界,不可不歴。
書き下し
病中の趣味、嘗めざるべからず。窮途の景界、歷ざるべからず。
現代語訳
病気の中で味わう趣は、一度は味わっておかなければなりません。行き詰まった境遇の景色は、一度は経ておかなければなりません。
解説
病や困窮という苦しい体験にも、味わうべきものがあると説いた一則です。病中の趣味とは、病に伏して初めて分かる健康のありがたさや、人の情けの温かさ、静かに自分を見つめる時間などを指すのでしょう。窮途は行き詰まった道、景界はそこで見える景色や境地です。順調なときには見えないものが、どん底では見えてきます。人の心の機微や、自分の本当の強さもそうです。苦しい経験を避けられないなら、そこから何を学べるかに目を向けたい。そうすれば、つらい時期も人生の糧になります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
逆境修身忍経験人生
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