酔古堂剣掃 / 集法・今日の是は執るべからず
昨日之非不可留,留之則根燼復萌,而塵情終累乎理趣:今日之是不可執,執之則渣滓未化,而理趣反轉為欲根。
新字:昨日之非不可留,留之則根燼復萌,而塵情終累乎理趣:今日之是不可執,執之則渣滓未化,而理趣反転為欲根。
書き下し
昨日の非は留むべからず、之を留むれば則ち根燼復た萌して、塵情終に理趣を累はす。今日の是は執るべからず、之を執れば則ち渣滓未だ化せずして、理趣反って轉じて欲根と為る。
現代語訳
昨日の過ちを心に残しておいてはいけません。残しておけば、焼け残った根がまた芽を出し、俗な情がついには道理の趣を損ないます。今日の正しさにしがみついてはいけません。しがみつけば、かすがまだ消えないままで、道理の趣がかえって欲の根に変わってしまいます。
解説
過去の過ちも、今日の正しさも、どちらも手放せと説いた一則で、菜根譚にもほぼ同じ句があります。昨日の非を引きずると、焼け残りの根から芽が出るように、同じ過ちや未練がよみがえります。一方、今日正しいと思ったことに固執すると、その正しさ自体が我執や欲に変わってしまうと言います。渣滓はかす、理趣は道理のおもむきです。反省はしても引きずらず、正しいと信じても執着しない。これは、心をいつも新しく保つための知恵です。過去の失敗も、今の成功も、軽やかに手放していきたいものです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
執着修身反省無我心
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『酔古堂剣掃』集醒・今日の是は執るべからず昨日の非は留むべからず、之を留むれば則ち根燼復た萌し、而して塵情終に理趣を累はす。 今日の是は執るべからず、之を執れば則ち渣滓未だ化せず、而して理趣反轉して欲根と爲る。
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