酔古堂剣掃 / 集法・才稍〻眾を壓すれば忌心生ず
才人國士,既負不群之才,定負不羈之行,是以才稍壓眾則忌心生,行稍違時則側目至。死後聲名,空譽墓中之骸骨;窮途潦倒,誰憐宮外之蛾眉。
新字:才人国士,既負不群之才,定負不羈之行,是以才稍圧衆則忌心生,行稍違時則側目至。死後声名,空誉墓中之骸骨;窮途潦倒,誰憐宮外之蛾眉。
書き下し
才人國士は、既に不群の才を負へば、定めて不羈の行ひを負ふ。是を以て才稍〻眾を壓すれば則ち忌心生じ、行ひ稍〻時に違へば則ち側目至る。死後の聲名は、空しく墓中の骸骨を譽め、窮途に潦倒すれば、誰か宮外の蛾眉を憐れまん。
現代語訳
才ある人や国を代表する士は、人並み外れた才能を持っている以上、必ず束縛されない振る舞いをするものです。だから、才能が少しでも人を圧倒すると妬みの心が生まれ、振る舞いが少しでも時流に外れると冷たい横目が向けられます。死んだ後の名声は、墓の中の骸骨をむなしく褒めるだけです。行き詰まって落ちぶれてしまえば、宮殿の外に置かれた美人を誰が憐れむでしょうか。
解説
すぐれた才能を持つ者の生きづらさを嘆いた一則です。不群は群を抜くこと、不羈は束縛されないことです。才が衆を圧すれば妬まれ、行いが時勢に外れれば白い目で見られるという対句は、才人の宿命を鋭く突いています。死後にどれだけ讃えられても本人には届かず、生きているうちに不遇なら、宮中に召されなかった美女のように誰にも顧みられないと言います。蛾眉は蛾の触角のような美しい眉で、美人のことです。才能ある人を妬まず、生きているうちに認めること。周りにいる私たちにできるのは、それではないでしょうか。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
才能嫉妬不遇処世人材
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