酔古堂剣掃 / 集法・法に泥まず法を越えず
自方袍幅巾之態,遍滿天下,而超脫穎絕之士,遂以同汙合流矯之,而世道不古矣。夫迂腐者,既泥於法,而超脫者,又越於法,然則士君子亦不偏不倚,期無所泥越則己矣,何必方袍幅巾,作此迂態耶!集法第十一。
新字:自方袍幅巾之態,遍満天下,而超脱穎絶之士,遂以同汚合流矯之,而世道不古矣。夫迂腐者,既泥於法,而超脱者,又越於法,然則士君子亦不偏不倚,期無所泥越則己矣,何必方袍幅巾,作此迂態耶!集法第十一。
書き下し
方袍幅巾の態、天下に遍滿してより、超脫穎絕の士、遂に同汙合流を以て之を矯め、而して世道古ならず。夫れ迂腐なる者は、既に法に泥み、超脫なる者は、又た法を越ゆ。然らば則ち士君子も亦た偏らず倚らず、泥み越ゆる所無きを期するのみ。何ぞ必ずしも方袍幅巾して、此の迂態を作さんや。集法第十一。
現代語訳
四角い衣と幅広の頭巾という道学者風の身なりが天下に満ちるようになってから、世俗を超えた抜きん出た人々は、かえって世の汚れに同調し流れに合わせることでそれを正そうとし、世の道は昔のようではなくなりました。そもそも、融通のきかない者は決まりにとらわれ、世俗を超えた者はまた決まりを踏み越えます。それならば、士君子もまた、偏らず寄りかからず、決まりにとらわれることも踏み越えることもないようにと心がけるだけのことです。どうしてわざわざ四角い衣と頭巾をまとって、こんな堅苦しい格好をする必要があるでしょうか。集法第十一。
解説
十二集の第十一、集法の頭に陸紹珩が置いた小序です。法は、ここでは人が拠るべき手本や規範を言います。方袍幅巾は、道学者が好んだ堅苦しい身なりで、形ばかりの道徳を象徴しています。それに反発した自由な人々は、今度は世俗に合わせすぎて規範を踏み越えてしまいました。陸紹珩は、規範に縛られる迂腐も、規範を越える超脱も、どちらも偏りだと見て、偏らず倚らない中庸を求めます。この集には、そうした節度ある処世の言葉が集められています。形に縛られず、形を捨てもしない生き方の手引きとして読みたい集です。
この章句が説くこと
中庸処世小序規範修身
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