酔古堂剣掃 / 集豪・腹中の氣も少くべからず
我輩腹中之氣,亦不可少,要不必用耳。若蜜口,真婦人事哉。
新字:我輩腹中之気,亦不可少,要不必用耳。若蜜口,真婦人事哉。
書き下し
我輩腹中の氣も、亦た少くべからず、要は必ずしも用ひざるのみ。蜜口の若きは、真に婦人の事なるかな。
現代語訳
私たちの腹の中の気概も、なくてはなりません。ただ大切なのは、それを必ずしも使わないことです。甘い口先ばかりというのは、まったく女性のすることです。
解説
胸の内に気骨を持ちつつ、それをむやみに振り回すなと説いた一則です。腹中の気は、怒りや気概、侠気のように腹の底にたまる強い気持ちです。それはなくてはならないが、要は使わずに持っていることだと言います。蜜口は、蜜のように甘い口先、つまりお世辞や口当たりのよい言葉です。それを女性のことだとするのは、当時の偏った見方であり、今日そのまま受け取る必要はありません。言いたいのは、甘い言葉で人に取り入るより、黙って気骨を内に蓄えておけということでしょう。怒る力を持ちながら使わない人に、本当の強さがあります。
この章句が説くこと
気骨忍処世抑制言葉
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