酔古堂剣掃 / 集豪・興來れば書自ら聖なり
得意不必人知,興來書自聖;縱口何關世議,醉後語猶顛。
新字:得意不必人知,興来書自聖;縦口何関世議,酔後語猶顛。
書き下し
意を得るは必ずしも人の知るを要せず、興來れば書自ら聖なり。口を縱にするは何ぞ世議に關せん、醉後の語猶ほ顛なり。
現代語訳
思いどおりにいったことは、必ずしも人に知ってもらう必要はありません。興が乗れば、書はおのずから神業の域に達します。口にしたいことを言うのに、世間の評判など関わりがありません。酔ったあとの言葉は、なお常軌を外れています。
解説
人の評価を気にせず、興の赴くままに書き語る自由さを描いた一則です。書自ら聖なり、語猶ほ顛なりという言い方は、唐の書家張旭が、酔って髪に墨を含ませて書き、草聖とも張顛とも呼ばれたことを思わせます。聖は神業、顛は常軌を外れた奔放さです。得意なことを人に誇る必要はなく、心が乗ったときにこそ最高の仕事ができると言います。もちろん酔って言いたい放題をよしとするのではなく、他人の目を気にして縮こまるなという励ましとして読むのがよいでしょう。
この章句が説くこと
自由書興趣豪放自得
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