酔古堂剣掃 / 集峭・須らく場に隨ひて戲を作すべし
興之所到,不妨嘔出驚人心,故不然,也須隨場作戲。
新字:興之所到,不妨嘔出驚人心,故不然,也須随場作戯。
書き下し
興の到る所は、驚人の心を嘔き出だすを妨げず、故より然らずんば、也た須らく場に隨ひて戲を作すべし。
現代語訳
興が乗ったときには、人を驚かすような心の底を吐き出して構いません。そうでないときは、その場に合わせて芝居を演じるのがよいのです。
解説
本音を出すときと場に合わせるときの使い分けを説いた一則です。嘔出は、胸の中のものを吐き出すように言葉にすることで、唐の李賀が詩作に打ち込む姿を母が「心を嘔き出さねば止まない」と嘆いた話が思い出されます。驚人は人を驚かす優れた言葉や発想です。一方、隨場作戲は、その場に応じて役を演じることです。いつも本気で全力を出すのではなく、興が乗ったときには思い切り本音を吐き出し、そうでないときは肩の力を抜いて場に合わせればよい、という処世の知恵です。常に本気でいようとすると人は疲れます。力を注ぐ場面を選ぶことも大切な技術です。
この章句が説くこと
処世本音興使い分け心構え
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