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酔古堂剣掃 / 集醒・只だ君が心の了了たるを問ふ

舊無陶令酒巾,新撇張顛書草;何妨與世昏昏,只問君心了了。

新字:旧無陶令酒巾,新撇張顛書草;何妨与世昏昏,只問君心了了。

書き下し

舊より陶令の酒巾無く、新たに張顛の書草を撇つ。 何ぞ世と與に昏昏たるを妨げん、只だ君が心の了了たるを問ふのみ。

現代語訳

もとより陶令(陶淵明)のように頭巾で酒を漉す風流はなく、近ごろは張顛(張旭)のような草書を書くことも捨ててしまいました。世間と一緒にぼんやりしていても何の差し支えがあるでしょうか。ただあなたの心がはっきり澄んでいるかどうかだけが問われるのです。

解説

風流の形を捨てても、心さえ澄んでいればよいと述べた一則です。陶令は、彭沢の県令を務めた陶淵明のことで、かぶっていた頭巾で酒を漉し、また頭にかぶったという逸話が伝わります。張顛は唐の書家張旭で、酔って髪を墨に浸して書いたほどの奔放な草書で知られます。どちらも文人の風流の代名詞ですが、著者はそれらの真似をする必要はないと言います。昏昏はぼんやりしたさま、了了ははっきり明らかなさまです。外から見れば世間と同じく平凡に暮らしていても、内側で心が曇っていなければそれでよいのです。生き方を人に見せる形で飾るより、自分の心の澄み具合を大切にしたいものです。

この章句が説くこと

風雅韜晦処世

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