酔古堂剣掃 / 集豪・吾が目中未だ嘗て人無からず
人每諛余腕中有鬼,余謂鬼自無端入吾腕中,吾腕中未嘗有鬼也。人每責余目中無人,余謂人自不屑入吾目中,吾目中未嘗無人也。
新字:人毎諛余腕中有鬼,余謂鬼自無端入吾腕中,吾腕中未嘗有鬼也。人毎責余目中無人,余謂人自不屑入吾目中,吾目中未嘗無人也。
書き下し
人每に余を諛ひて腕中に鬼有りと言ふ。余謂へらく、鬼自ら端無くして吾が腕中に入る、吾が腕中未だ嘗て鬼有らざるなり。人每に余を責めて目中に人無しと言ふ。余謂へらく、人自ら吾が目中に入るを屑しとせず、吾が目中未だ嘗て人無からざるなり。
現代語訳
人はいつも私にへつらって、あなたの腕には鬼神が宿っていると言います。私に言わせれば、鬼神のほうが勝手に私の腕に入ってくるのであって、私の腕にもともと鬼神がいるわけではありません。人はいつも私を責めて、あなたの目には人が映っていない、傲慢だと言います。私に言わせれば、人のほうが私の目に入ることを潔しとしないのであって、私の目にもともと人がいないわけではありません。
解説
褒め言葉と非難の言葉を、同じ理屈でひっくり返してみせる機知に富んだ一則です。腕中に鬼有りとは、書や画の腕前が人間離れしていることを言う褒め言葉です。目中に人無しとは、他人を眼中に置かない傲慢さを責める言葉です。著者はどちらにも、それは自分のせいではなく相手の側の都合だと言い返します。一見ふざけた言い分ですが、褒められても驕らず、責められても卑屈にならない豪放な自負が表れています。人の評価に振り回されず、自分の軸を保つための、ひとつのしなやかな構えと言えるでしょう。
この章句が説くこと
自負処世機知豪放評価
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