酔古堂剣掃 / 集豪・山川風月の主人
吾有目有足,山川風月,吾所能到,我便是山川風月主人。
書き下し
吾に目有り足有り、山川風月は、吾が能く到る所、 我は便ち是れ山川風月の主人なり。
現代語訳
私には目があり足があります。山や川、風や月は、私がたどり着ける所です。ですから私こそが、山川風月の主人なのです。
解説
自然の美しさは、それを見に行き味わう者のものだという、大らかな自負を述べた一則です。宋の蘇軾の「前赤壁賦」には、川の上の清らかな風と山の間の明月は、耳で聞けば音となり目で見れば色となり、いくら取っても尽きることがない、という名高い一節があります。また蘇軾は別の文で、江山風月にはもともと決まった主はおらず、閑な者がその主となると述べています。この一則もそうした考えに通じるものです。山や川を所有することはできなくても、目があれば眺められ、足があれば訪ねられます。そうして味わう者こそが、本当の主人なのです。お金や地位がなくても、自然の豊かさを誰よりも享受することはできます。
この章句が説くこと
自然山水閑適知足豪放
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