酔古堂剣掃 / 集景・何ぞ必ずしも己が物と為さん
每遇勝日有好懷,袖手哦古人詩足矣。青山秀水,到眼即可舒嘯,何必居籬落下,然後為己物?
新字:毎遇勝日有好懐,袖手哦古人詩足矣。青山秀水,到眼即可舒嘯,何必居籬落下,然後為己物?
書き下し
每に勝日に遇ひて好懷有らば、手を袖にして古人の詩を哦すれば足れり。 青山秀水、眼に到れば即ち舒嘯すべし、何ぞ必ずしも籬落の下に居りて、然る後に己が物と為さん。
現代語訳
よい日に出会って心が晴れやかなときは、いつも手を袖に入れて古人の詩を口ずさめば十分です。青い山や美しい川は、目に入ればすぐに声を伸ばして歌えばよいのです。どうしてわざわざ垣根の内に住んで、それからやっと自分のものにする必要があるでしょうか。
解説
美しい景色を所有しようとせず、見るだけで楽しめばよいと説いた一則です。勝日はよく晴れたよい日、好懷は晴れやかな気持ちです。袖手は手を袖に入れて何もしないことで、何かを手に入れようとしない姿勢を表しています。舒嘯は、声を長く伸ばして口笛を吹いたり歌ったりすることです。後半の、籬落の下に居りては、垣根で囲って自分の土地にすることを指しています。山水を楽しむのに、その山や川を所有する必要はないというのです。景色のよい場所に別荘を持たなくても、散歩の途中で見上げた山を心ゆくまで味わえば、それはもう自分のものだと言えるのでしょう。
この章句が説くこと
知足自然清貧所有風雅
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