酔古堂剣掃 / 集豪・大海を以て之を葬る
宋海翁才高嗜酒,睥睨當世。忽乘醉泛舟海上,仰天大笑,曰:「吾七尺之軀,豈世間凡士所能貯?合以大海葬之耳!」遂按波而入。
新字:宋海翁才高嗜酒,睥睨当世。忽乗酔泛舟海上,仰天大笑,曰:「吾七尺之躯,豈世間凡士所能貯?合以大海葬之耳!」遂按波而入。
書き下し
宋海翁は才高く酒を嗜み、當世を睥睨す。 忽ち醉ひに乘じて舟を海上に泛べ、天を仰ぎて大笑して曰く、「吾が七尺の軀、豈に世間の凡士の能く貯ふる所ならんや。合に大海を以て之を葬るべきのみ」と。 遂に波を按じて入る。
現代語訳
宋海翁は才能が高く酒を好み、当時の世の中を見下していました。あるとき酔いに任せて海に舟を浮かべ、天を仰いで大笑いして言いました。「わが七尺の体は、どうして世間の凡人が受け入れられるものであろうか。大海こそがこれを葬るにふさわしいのだ」。そうして波を押し分けて海に入っていきました。
解説
明の奇人宋海翁の最期を記した一則です。宋海翁は、明の詩人宋登春、号を海翁という人物のことと考えられます。才能に恵まれながら世に容れられず、酒を好んで世の中を見下していたと伝えられます。酔って舟を浮かべ、自分の体を受け入れられるのは大海だけだと笑って海に入ったというこの逸話は、世俗の枠に収まらない狂気じみた豪放さとして、明末の文人たちに語り伝えられました。もちろん、命を粗末にすることを勧める話ではありません。この一則は、世間の尺度に収まりきらない人間の、行き場のない誇りと孤独の深さを伝えるものとして読むべきでしょう。才能と孤独の関係を考えさせる、痛切な逸話です。
この章句が説くこと
奇人孤独才能酒逸話
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