酔古堂剣掃 / 集豪・酒人の醉態を看る
據床嗒爾,聽豪士之談鋒;把盞惺然,看酒人之醉態。
新字:拠床嗒爾,聴豪士之談鋒;把盞惺然,看酒人之酔態。
書き下し
床に據りて嗒爾として、豪士の談鋒を聽き、 盞を把りて惺然として、酒人の醉態を看る。
現代語訳
腰掛けに寄りかかってぼんやりと我を忘れ、豪傑たちの鋭い弁舌を聴きます。杯を手にしながらも目覚めた心で、酒飲みたちの酔いぶりを眺めます。
解説
豪傑や酒飲みの集う席で、一歩引いて楽しむ人の姿を描いた一則です。嗒爾は、『荘子』斉物論篇で南郭子綦が机に寄りかかって我を忘れていた様子を言う言葉に近く、無心でぼんやりしている様子です。豪傑たちが熱く論じ合う鋭い弁舌を、自分は我を忘れたように静かに聴いていると言います。後の句の惺然は、はっきりと目覚めている様子です。杯を持ちながらも酔わずに、酒飲みたちの酔態を眺めて楽しむのです。熱い議論にも加わらず、酒宴にも溺れず、その場の豪快さを観客として味わう余裕があります。場に呑まれずに楽しむことができる人は、かえってその場のいちばんの味わい手なのかもしれません。
この章句が説くこと
酒談論閑適観察余裕
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