酔古堂剣掃 / 集豪・曹氏の石倉
曹曾積石為倉以藏書,名曹氏石倉。
新字:曹曽積石為倉以蔵書,名曹氏石倉。
書き下し
曹曾石を積みて倉と爲し以て書を藏す、 曹氏の石倉と名づく。
現代語訳
曹曾(後漢の学者)は、石を積み上げて倉を作り、そこに書物を収めました。これを曹氏の石倉と名づけました。
解説
後漢の学者曹曾が、書物を守るために石の倉を築いたという故事を記した一則です。曹曾は多くの書物を集めた人物で、戦乱や火災で書物が失われることを恐れ、燃えにくい石を積んで書庫を作ったと伝えられます。石倉は、その後、蔵書を大切にする人の象徴となりました。明代には曹学佺という人物が、自分の書斎や著作に石倉の名を用いています。書物は紙でできているため、火や水や戦乱で簡単に失われます。それを後の世に伝えるために石の倉まで築いた情熱は、知識を守ろうとする豪快な意志の表れと言えるでしょう。集豪にこの逸話が収められているのは、書物にかける情熱もまた、一つの豪であると考えたからでしょう。

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蔵書読書学問故事継承
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史記 儒林列伝太史公曰く、余功令を読み、学官の路を広厲するに至りて、未だ嘗て書を廃して嘆ぜずんばあらざるなり。曰く、嗟乎、夫れ周室衰へて関雎作り、幽厲微にして礼楽壊れ、諸侯恣に行ひ、政彊国に由る。故に孔子王路の廃れて邪道の興るを閔み、是に於て詩書を論次し、礼楽を修起す。斉に適きて韶を聞き、三月肉の味を知らず。衛より魯に返り、然る後に楽正しく、雅頌各々其の所を得たり。世混濁を以て能く用ふる莫し、是を以て仲尼七十余君に干むるも遇ふ所無し、曰く「茍も我を用ふる者有らば、期月のみにして可なり」と。西に狩りて麟を獲、曰く「吾が道窮まれり」と。故に史記に因りて春秋を作り、以て王法に当つ、其の辞微にして指博し、後世の学者多く焉を録す。孔子卒してより後、七十子の徒諸侯に散游し、大なる者は師傅卿相と為り、小なる者は士大夫を友教し、或いは隠れて見はれず。故に子路は衛に居り、子張は陳に居り、澹台子羽は楚に居り、子夏は西河に居り、子貢は斉に終はる。田子方・段干木・呉起・禽滑釐の属の如きは、皆業を子夏の倫に受け、王者の師と為る。是の時独り魏の文侯のみ学を好む。後陵遅して以て始皇に至り、天下并びに戦国に争ひ、儒術既に絀けらる、然れども斉魯の間、学者独り廃れざるなり。威・宣の際に於て、孟子・荀卿の列、咸夫子の業に遵ひて之を潤色し、学を以て当世に顕る。秦の季世に至るに及び、詩書を焚き、術士を阬にし、六芸此より欠く。陳渉の王たるや、魯の諸儒孔氏の礼器を持して往きて陳王に帰す。是に於て孔甲陳渉の博士と為り、卒に渉と倶に死す。
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史記 儒林列伝陳渉は匹夫より起こり、瓦合の適戍を駆り、旬月にして以て楚に王たり、半歳に満たずして竟に滅亡す、其の事至って微浅なり、然れども縉紳先生の徒孔子の礼器を負ひて往きて質を委ねて臣と為る者は、何ぞや。秦其の業を焚くを以て、怨みを積みて憤りを陳王に発するなり。高皇帝項籍を誅し、兵を挙げて魯を囲むに及び、魯中の諸儒尚ほ講誦して礼楽を習ひ、弦歌の音絶えず、豈に聖人の遺化にして、礼楽を好むの国に非ずや。故に孔子陳に在りて曰く、「帰らんか、帰らんか。吾が党の小子は狂簡にして、斐然として章を成す、之を裁する所以を知らず」と。夫れ斉魯の間の文学に於けるや、古より以来、其の天性なり。故に漢興り、然る後に諸儒始めて其の経芸を修め、大射郷飲の礼を講習するを得たり。叔孫通漢の礼儀を作り、因りて太常と為り、諸生弟子の共に定むる者、咸選の首と為る、是に於て喟然として学に興るを嘆ず。然れども尚ほ干戈有り、四海を平定し、亦未だ庠序の事に暇遑あらざるなり。孝恵・呂后の時、公卿は皆武力功有るの臣なり。孝文の時頗る徴用す、然れども孝文帝は本より刑名の言を好む。孝景に至るに及び、儒者を任ぜず、而して竇太后又黄老の術を好む、故に諸博士官に具はりて問を待つも、未だ進む者有らず。今上位に即くに及び、趙綰・王臧の属儒学に明らかなり、而して上も亦之に郷ふ、是に於て方正賢良文学の士を招く。是より後、詩を言ふは魯に於ては則ち申培公、斉に於ては則ち轅固生、燕に於ては則ち韓太傅。尚書を言ふは済南の伏生よりす。礼を言ふは魯の高堂生よりす。易を言ふは菑川の田生よりす。春秋を言ふは斉魯に於ては胡毋生よりし、趙に於ては董仲舒よりす。
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『大和俗訓』自序ここを以て、人の誹をうれひざるなるべし。今われ犬馬のとしすでにやそぢにせまり、なす事なくて此世くれ行くなべに、こよみのぢくあらはれたるごとくなれば、やがて草木と同じく、はかなくくちはてなんとうらめしくて、わが身のざえのつたなきをわすれ、みだりにつとめて筆をおこし侍る。老らくの身は、心も目もたどたどしければ、いかなるひが事を書きけんもうしろめたし。世の中に、われと志を同じくする人もありて、此書のあやまりおほくしてひがひがしきことをよく改めつくりて、世をさとし給はば、まことにねがはしきほいにかなへるなるべし。
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