酔古堂剣掃 / 集峭・經史は吾が家の田
忠孝吾家之寶,經史吾家之田。
新字:忠孝吾家之宝,経史吾家之田。
書き下し
忠孝は吾が家の寶、經史は吾が家の田。
現代語訳
忠と孝こそわが家の宝であり、経書と史書こそわが家の田畑です。
解説
家の財産とは何かを、宝と田の二つで言い切った家訓風の対句です。忠は主君や務めへの誠、孝は親への孝行で、儒教の徳目の中心です。經史は儒教の経典と歴史書で、学問の根幹とされました。金銀の宝や広い田畑よりも、徳と学問こそが子孫に残すべき財産だという考えは、中国の家訓に繰り返し現れます。田にたとえたのは、学問が耕せば耕すほど実りをもたらし、代々受け継いで食べていける元手だからです。形ある財産は失われやすいものですが、身についた徳や教養は奪われません。家族や後に続く人たちに何を残すかを考えさせる一句です。
この章句が説くこと
家訓忠孝学問修身継承
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