酔古堂剣掃 / 集豪・古人の我を見ざるを恨む
不恨我不見古人,惟恨古人不見我。
書き下し
我の古人を見ざるを恨まず、 惟だ古人の我を見ざるを恨む。
現代語訳
私が古の人を見られないことは恨みません。ただ古の人が私を見られないことを恨むだけです。
解説
古人に対する大胆な自負を示した一則で、南朝斉の張融の言葉として伝えられます。ふつう、学ぶ者は、偉大な古人に直接会えないことを残念に思うものです。ところがここでは、それは恨まない、ただ古人が自分に会えないことが残念だと言います。つまり、自分は古人に劣らない、古人こそ自分を知らないのが惜しいという、とてつもない自信の表明です。張融は書や文章に独自の風を持ち、他人の模倣を嫌った人物として知られます。傲慢とも取れる言葉ですが、古人の真似に終始せず、自分の道を切り開こうとする気概の表れと読めば、創作や仕事に向かう人を奮い立たせる言葉でもあります。
この章句が説くこと
自負独創尚古豪放気概
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