酔古堂剣掃 / 集醒・我に如かざる者常に眾し
休怨我不如人,不如我者常眾;休誇我能勝人,勝如我者更多。
新字:休怨我不如人,不如我者常衆;休誇我能勝人,勝如我者更多。
書き下し
我の人に如かざるを怨むを休めよ、我に如かざる者常に眾し。我の能く人に勝るを誇るを休めよ、我に勝る者更に多し。
現代語訳
自分が人に及ばないことを恨むのはやめなさい。自分に及ばない人はいつも大勢います。自分が人に勝っていることを誇るのはやめなさい。自分に勝る人はさらに多くいます。
解説
人と比べて一喜一憂する心を戒めた、平易で覚えやすい対句です。自分が人より劣っていると恨むとき、私たちは上ばかり見ています。しかし下を見れば、自分より恵まれない人はいくらでもいます。反対に、自分が人より優れていると誇るとき、私たちは下ばかり見ています。しかし上を見れば、自分より優れた人はさらに多くいます。上を見て卑屈にならず、下を見て驕らない、という心の釣り合いが説かれています。上には上がいるということわざにも通じます。人と比べることを完全にやめるのは難しいですが、比べるなら両方向を見ることで、劣等感も優越感もやわらぎ、自分のすべきことに集中できるでしょう。
この章句が説くこと
謙虚知足比較処世修身
関連する章句
-
論語・公冶長篇子、子貢に謂いて曰く、「女と回と孰れか愈れる。」対えて曰く、「賜や何ぞ敢えて回を望まん。回や一を聞きて以て十を知る、賜や一を聞きて以て二を知る。」子曰く、「如かざるなり。吾と女と、如かざるなり。」
-
『囲炉夜話』第百三十三則・常に某人の德業我に勝ると思へば自ら慚づべし常に某人の境界は我に及ばず、某人の命運は我に及ばずと思へば、則ち以て自ら足るべし。 常に某人の德業は我に勝り、某人の學問は我に勝ると思へば、則ち以て自ら慚づべし。
-
『格言聯璧』持躬類・品詣は常に我に勝る者を看よ品詣は常に我に勝る如き者を看れば、則ち愧恥自ら增す。 享用は常に我に如かざる者を看れば、則ち怨尤自ら泯ぶ。 家に坐して聊無きも、亦た食力の擔夫の紅塵赤日なるを念へ。 官階達せざるも、尚ほ高才の秀士の白首青衿なる有り。
-
葉隠・聞書第一少し理窟(りくつ)などを合点(がてん)したる時は、頓(やが)て高慢(こうまん)して、我今の世間に合はぬ生附(うまれつき)などと云ひて、我が上(うえ)あらじと思ふは、天罰あるべきなり。何様(いかよう)の能事(のうじ)持ちたりとも、人の好かぬ者は役に立たず。御用に立つ事、奉公する事には好きて、随分(ずいぶん)へりくだり、朋輩(ほうばい)の下に居るを悦ぶ心入(こころいれ)の者は、諸人(しょにん)嫌はぬものなり。「さてさて振(ふ)りある秘蔵(ひぞう)の者共(ものども)。」
-
老子・第8章上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与は仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。夫れ唯だ争わず、故に尤め無し。
-
史記 老子韓非列伝老子は、楚の苦県厲郷曲仁里の人なり。姓は李氏、名は耳、字は耼、周の守藏室の史なり。孔子、周に適き、将に礼を老子に問はんとす。老子曰く、「子の言ふ所の者は、其の人と骨と皆已に朽つ。独り其の言在るのみ。且つ君子は其の時を得ば則ち駕し、其の時を得ざれば則ち蓬累して行く。吾之を聞く、良賈は深く藏して虚しきが若く、君子は盛徳あるも容貌は愚なるが若し、と。子の驕気と多欲、態色と淫志を去れ。是れ皆子の身に益無し。吾が以て子に告ぐる所は、是くの若きのみ」と。孔子去り、弟子に謂ひて曰く、「鳥は、吾其の能く飛ぶを知る。魚は、吾其の能く游ぐを知る。獣は、吾其の能く走るを知る。走る者には以て罔を為す可く、游ぐ者には以て綸を為す可く、飛ぶ者には以て矰を為す可し。龍に至りては、吾其の風雲に乗りて天に上るを知る能はず。吾今日老子を見るに、其れ猶ほ龍のごときか」と。