酔古堂剣掃 / 集豪・身を措くに地無し
滿腹有文難罵鬼,措身無地反憂天。
新字:満腹有文難罵鬼,措身無地反憂天。
書き下し
滿腹文有れども鬼を罵り難く、 身を措くに地無くして反って天を憂ふ。
現代語訳
腹いっぱいに学問があっても、自分を苦しめる貧乏神を罵り追い払うことは難しく、身を置く場所さえないのに、かえって天が落ちてこないかと天下のことを憂えています。
解説
才能はあっても貧しく、居場所もないのに、なお天下を憂える文人の姿を、自嘲を込めて描いた一則です。前の句の罵鬼は、唐の韓愈が「送窮文」で、自分に取りついて離れない窮鬼、すなわち貧乏神を送り出そうとした話などを思わせます。いくら学問があっても、貧しさを追い払うことはできないという嘆きです。後の句の憂天は、天が崩れ落ちるのを心配した杞の国の人の話、杞憂を踏まえています。自分の身の置き場もないのに、天下の心配をしているというのは、滑稽でもあり、また志の高さの表れでもあります。自分のことで精一杯でも、なお世の中を思わずにいられない。そうした気骨を笑いに包んだ句です。
この章句が説くこと
不遇清貧憂国諧謔学問
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