酔古堂剣掃 / 集豪・胸中數萬の甲兵
龍津一劍,尚作合於風雷。胸中數萬甲兵,寧終老於牖下。此中空洞原無物,何止容卿數百人。
新字:竜津一剣,尚作合於風雷。胸中数万甲兵,寧終老於牖下。此中空洞原無物,何止容卿数百人。
書き下し
龍津の一劍、尚ほ風雷に合を作す。 胸中數萬の甲兵、寧ぞ牖下に終老せんや。 此の中空洞にして原より物無し、何ぞ止だ卿ら數百人を容るるのみならんや。
現代語訳
龍津に落ちた一振りの剣でさえ、なお風と雷の中で片割れと一つになりました。胸の中に数万の武装した兵を抱く者が、どうして窓の下で老いて終わることがありましょうか。この腹の中はがらんとしてもともと何もありませんが、どうしてあなたがた数百人を入れるだけにとどまりましょうか。
解説
三つの故事を連ねて、豪者の胸の大きさを示した一則です。龍津の剣は、晋の張華と雷煥が掘り出した二振りの名剣の話で、後に一振りが延平津の水に落ちると、二匹の龍となって現れ、風雷の中で消えたと伝えられます。名剣は埋もれず、いずれ本来の姿を現すということです。胸中数万の甲兵は、宋の范仲淹が西夏との国境を守ったとき、敵が彼の胸には数万の兵がいると恐れたという話に基づきます。最後の句は『世説新語』の話で、晋の周顗が自分の腹を指して、この中は空っぽだが君たち数百人は入る、と言ったと伝えられます。才能は埋もれず、器は大きく。豪放な気概に満ちた句です。
この章句が説くこと
器量胆力故事豪放気概
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