酔古堂剣掃 / 集豪・門を閉ぢて心は萬山の中
世事不堪評,掩卷神遊千古上;塵氛應可卻,閉門心在萬山中。
新字:世事不堪評,掩巻神遊千古上;塵氛応可却,閉門心在万山中。
書き下し
世事評するに堪へず、卷を掩ひて神は千古の上に遊ぶ。 塵氛應に卻くべし、門を閉ぢて心は萬山の中に在り。
現代語訳
世の中の出来事は、論評するに値しません。書物を閉じれば、心ははるか昔の世界に遊びます。俗世の汚れた空気は退けるべきです。門を閉ざせば、心は幾重にも連なる山々の中にあります。
解説
世俗の騒がしさから心を離し、自分だけの世界に遊ぶ境地を描いた一則です。前の句は、世の中の出来事はいちいち批評する気にもなれないと言い、書物を読み終えて閉じると、心は千年も昔の古人の世界に遊ぶと述べます。書を読むことで、時を超えて古人と交わることができるのです。後の句の塵氛は、俗世のほこりっぽい空気のことです。それを退けるには、門を閉ざすだけでよく、そうすれば町中にいても心は深い山の中にあるのと同じだと言います。陶淵明の、心が遠ければ住む場所もおのずと辺鄙になる、という詩句にも通じる考え方です。騒がしい日々の中でも、自分で心の門を閉ざす時間を持つことはできます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
隠逸読書閑寂心尚古
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