酔古堂剣掃 / 集豪・雞を聞きて起ちて舞ふ
聞雞起舞,劉琨其壯士之雄心乎;聞箏起舞,迦葉其開士之素心乎?
新字:聞鶏起舞,劉琨其壮士之雄心乎;聞箏起舞,迦葉其開士之素心乎?
書き下し
雞を聞きて起ちて舞ふ、劉琨は其れ壯士の雄心か。 箏を聞きて起ちて舞ふ、迦葉は其れ開士の素心か。
現代語訳
夜明けの鶏の声を聞いて起き上がり剣舞をした劉琨(晋の武将)は、壮士の雄々しい心の持ち主だったのでしょう。琴の音を聞いて立ち上がって舞った迦葉(釈迦の弟子)は、菩薩の素直な心の持ち主だったのでしょうか。
解説
同じ起舞という行いを、武人と仏弟子の二つの故事で対にした一則です。前の句は、晋の祖逖と劉琨の故事です。二人は若い頃、夜中に鶏の声を聞くと起き出して剣舞をし、国のために尽くす志を励まし合ったと伝えられ、聞鶏起舞の成語となりました。後の句は仏典の話で、緊那羅王が琴を奏でると、その妙なる音に、厳しい修行で知られる大迦葉までもが思わず立ち上がって舞ったと伝えられます。開士は菩薩のことです。一方は志に奮い立つ雄々しい心、他方は美しいものに素直に動かされる心です。豪者にはその両方があってよいのだと、この対比は教えているようです。心が動いたら体も動く、その素直さを大切にしたいものです。
この章句が説くこと
立志奮起仏教故事素心
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