酔古堂剣掃 / 集豪・管寧は真に吾が師
藜床半穿,管寧真吾師乎;軒冕必顧,華歆洵非友也。
書き下し
藜床半ば穿つ、管寧は真に吾が師なるか。 軒冕必ず顧る、華歆は洵に友に非ざるなり。
現代語訳
粗末な腰掛けが半ば擦り切れて穴があくまで座り続けた管寧(三国魏の隠士)こそ、まことに私の師です。高官の車や冠に必ず目を向けた華歆(管寧の旧友)は、まことに友とすべき人ではありません。
解説
三国時代の管寧と華歆という二人の人物を対比し、学ぶべき生き方を示した一則です。管寧は魏の時代の隠士で、たびたび朝廷に招かれても仕官せず、一つの木の腰掛けに五十年以上座り続けたため、膝の当たる所がすり減って穴があいたと伝えられます。藜床は、あかざの茎などで作った粗末な腰掛けです。一方の華歆は、管寧と若い頃に共に学んだ友人ですが、高官の車が通るとつい見に行ってしまい、管寧に席を分けて絶交されたと伝えられます。軒冕は高官の乗る車と冠で、名誉や地位を表します。名利に心を動かさない管寧を師とし、華歆を友としないという、はっきりとした価値判断が豪者らしい句です。
この章句が説くこと
清貧名利交友節操故事
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