酔古堂剣掃 / 集豪・山を移すに文有るを愁ふ
深居遠俗,尚愁移山有文;縱飲達旦,猶笑醉鄉無記。
新字:深居遠俗,尚愁移山有文;縦飲達旦,猶笑酔郷無記。
書き下し
深く居りて俗を遠ざくるも、尚ほ山を移すに文有るを愁ひ、 縱飲して旦に達するも、猶ほ醉鄉に記無きを笑ふ。
現代語訳
奥深く隠れ住んで俗世を遠ざけていても、なお山が文を移して責めてくるのではないかと気にかかります。思うままに飲んで朝に至っても、なお酔郷には記録がないと笑います。
解説
隠者の暮らしと酒の楽しみを、二つの文章にちなんで描いた一則です。前の句の移山有文は、南朝斉の孔稚珪の「北山移文」を踏まえています。これは、隠者を装っていた人物が朝廷に仕官したのを、山の神が文書で責めるという形で風刺した名文です。深く隠れていても、本当に俗を捨てきれているのか、山に責められはしまいかと自分を省みる心が表れています。後の句の酔郷は、唐の王績が「酔郷記」で描いた、酒に酔った者だけが行ける理想郷です。一晩中飲み明かしても、自分たちの酔いの境地はまだ記されていないと笑う、というのでしょう。隠逸と酒のどちらにも、自分を笑う余裕がある、豪放で洒脱な句です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
隠逸酒自省諧謔故事
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