酔古堂剣掃 / 集豪・龍泉我を知る
慷慨之氣,龍泉知我;憂煎之思,毛穎解人。
新字:慷慨之気,竜泉知我;憂煎之思,毛穎解人。
書き下し
慷慨の氣は、龍泉我を知り、 憂煎の思ひは、毛穎人を解す。
現代語訳
憤り嘆く気概は、名剣の龍泉が私を分かってくれます。憂いに身を焦がす思いは、筆の毛穎がこの私を理解してくれます。
解説
世に理解されない胸の内を、剣と筆だけが分かってくれると述べた一則です。慷慨は、世の不正や自分の不遇に憤り嘆くことです。龍泉は、古代の名工が鍛えたと伝えられる名剣の名で、龍淵とも言います。その剣だけが自分の憤りを知ってくれると言うのは、剣を抜いて天下のために働きたいという気概を示しています。後の句の毛穎は、唐の韓愈が筆を擬人化して書いた「毛穎伝」の主人公で、筆のことです。憂いに焦がれる思いは、筆を執って書くことでだけ分かってもらえるというのです。人に打ち明けられない思いも、道具に向かえば表現できる。剣と筆、行動と言葉とが、豪者の心の友だったのです。
この章句が説くこと
慷慨剣筆孤独表現
関連する章句
-
『酔古堂剣掃』集豪・縹緲たる孤鴻縹緲たる孤鴻、影窗際に來る。戶を開きて之に從へば、明月懷に入り、花枝零亂たり。楓落ち吳江の句を朗吟すれば、人をして淒絕たらしむ。
-
『酔古堂剣掃』集倩・明月故人に減ぜず幽堂晝密かにして、清風忽ち來たりて好伴となる。 虛窗夜朗らかにして、明月故人に減ぜず。
-
老子・第20章学を絶てば憂い無し。唯と阿と、相去ること幾何ぞ。善と悪と、相去ること若何。人の畏るる所は、畏れざるべからず。荒としてそれ未だ央きざるかな。衆人は熙熙として、太牢を享くるが如く、春に台に登るが如し。我れ独り泊としてそれ未だ兆さず、嬰児の未だ孩わざるが如し。儽儽として帰する所無きが若し。衆人は皆な余り有るに、我れ独り遺れたるが若し。我れは愚人の心なるかな、沌沌たり。俗人は昭昭たるに、我れ独り昏昏たり。俗人は察察たるに、我れ独り悶悶たり。澹としてそれ海の若く、飂として止まる所無きが若し。衆人は皆な以うる有るに、我れ独り頑にして鄙に似たり。我れ独り人に異なりて、母に食わるるを貴ぶ。
-
『幽夢影』巻下・月を邀へて愁ひを言ふ淸宵に獨り坐し、月を邀へて愁ひを言ふ。良夜に孤り眠り、蛩を呼びて恨みを語る。
-
徒然草・第75段つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。紛るゝ方なく、唯一人あるのみこそよけれ。世に従へば、心外の塵にうばはれて惑ひ易く、人に交はれば、言葉よそのききに随ひて、さながら心にあらず。人に戯れ、物に争ひ、一度はうらみ、一度はよろこぶ。そのこと定れることなし。分別妄りに起りて、得失やむ時なし。まどひの上に酔へり、酔の中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたること、人皆かくのごとし。いまだ誠の道を知らずとも、縁を離れて身を閑にし、事に与らずして心を安くせむこそ、暫く楽しぶともいひつべけれ。「生活、人事、技能、学問等の諸縁をやめよ。」とこそ、摩訶止観にもはべれ。
-
『韓非子』和氏第十三人主、能く大臣の議に倍き、民萌の誹を越え、獨り道言に周するに非ずんば、則ち法術の士、死亡に至ると雖も、道必ず論ぜられざらん。