酔古堂剣掃 / 集豪・驥は櫪に伏すと雖も
驥雖伏櫪,足能千里;鵠即垂翅,志在九霄。
書き下し
驥は櫪に伏すと雖も、足は能く千里。 鵠は即ひ翅を垂るるも、志は九霄に在り。
現代語訳
駿馬は馬小屋に伏せていても、その足は千里を走ることができます。白鳥はたとえ翼を垂れていても、その志ははるか大空の高みにあります。
解説
今は不遇の身にあっても、大きな志と力を失わない者の姿を描いた一則です。驥は一日に千里を走るという駿馬、櫪は馬小屋の飼い葉桶のことです。三国魏の曹操の詩「歩出夏門行」に、老いた駿馬は馬小屋に伏していても志は千里にある、という有名な句があり、この一則もそれを踏まえています。後の句の鵠は白鳥のように大きく高く飛ぶ鳥で、翼を休めていても、その志は九霄、すなわち天の最も高いところにあると言います。今は用いられず、力を発揮する場がなくても、本来の力と志は失われていないという気概の表明です。思うようにいかない時期にこそ、自分の足と志を信じ続けたいものです。
この章句が説くこと
立志不遇気概忍耐豪放
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