酔古堂剣掃 / 集綺・賣花聲を第一と爲す
論聲之韻者,曰溪聲、澗聲、竹聲、松聲、山禽聲、幽壑聲、芭蕉雨聲、落花聲,皆天地之清籟,詩壇之鼓吹也,然銷魂之聽,當以賣花聲為第一。
新字:論声之韻者,曰渓声、澗声、竹声、松声、山禽声、幽壑声、芭蕉雨声、落花声,皆天地之清籟,詩壇之鼓吹也,然銷魂之聴,当以売花声為第一。
書き下し
聲の韻を論ずる者は、曰く溪聲、澗聲、竹聲、松聲、山禽の聲、幽壑の聲、芭蕉の雨聲、落花の聲、皆天地の清籟、詩壇の鼓吹なり。 然れども銷魂の聽は、當に賣花聲を以て第一と爲すべし。
現代語訳
音の風韻を論じる人は、渓流の音、谷川の音、竹の音、松の音、山鳥の声、深い谷の音、芭蕉を打つ雨の音、花の散る音を挙げます。これらはみな天地の清らかな響きであり、詩の世界を盛り立てる音楽です。しかし、魂をとろかすような聞きものとしては、花売りの声を第一とすべきでしょう。
解説
さまざまな自然の音を挙げたうえで、意外にも街角の花売りの声を最上とした一則です。前半では、渓流、竹、松、山鳥、芭蕉の雨、落花など、文人が愛してきた自然の音を列挙し、それらは天地が奏でる清らかな音楽であり、詩人を励ます鼓吹だと讃えます。清籟は、自然が発する清らかな響きのことです。ところが結びで、心をとろかす音として第一に挙げるのは、春の朝に街を流す花売りの声です。花売りの声は、季節の訪れと人の暮らしの温もりを同時に運んできます。自然の音の清らかさに、人の暮らしの情が加わってこそ、心は最も深く動かされるということでしょう。日々の暮らしの音にも、耳を傾けたくなる句です。
この章句が説くこと
音自然風雅季節暮らし
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