酔古堂剣掃 / 集綺・僧を邀へて花船に上る
避客偶然拋竹屨,邀僧時一上花船。
新字:避客偶然抛竹屨,邀僧時一上花船。
書き下し
客を避けて偶然竹屨を拋ち、 僧を邀へて時に一たび花船に上る。
現代語訳
客を避けて、たまたま竹の草履を脱ぎ捨てて逃げ出し、僧を招いて、ときには花で飾った舟に乗り込みます。
解説
気ままな隠者の暮らしぶりを、ユーモアを交えて描いた一則です。前の句は、訪ねてくる客を避けようとして、竹の草履を脱ぎ捨てるほど慌てて身を隠す様子です。俗客との付き合いを煩わしく思う隠者の気持ちが、滑稽なしぐさで表されています。後の句は、反対に自分から僧を招いて、花で飾った遊覧の舟に乗り込む様子です。俗人は避けるが、心の通う僧とは舟遊びを楽しむという、付き合う相手を選ぶ自由がここにあります。花船という華やかな舟に、禁欲的な僧を招くという取り合わせにも、型にとらわれない面白さがあります。誰とでも付き合うのではなく、心から語り合える人との時間を大切にしたいものです。
この章句が説くこと
隠逸交友閑適僧選択
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