酔古堂剣掃 / 集綺・白雲に留住せらる
九重仙詔,休教丹鳳銜來;一片野心,已被白雲留住。
新字:九重仙詔,休教丹鳳銜来;一片野心,已被白雲留住。
書き下し
九重の仙詔、丹鳳をして銜み來らしむる休かれ。 一片の野心、已に白雲に留住せらる。
現代語訳
宮中からの尊いお召しの詔を、赤い鳳凰にくわえて運ばせるのはおやめください。私の野に遊ぶ一片の心は、もう白い雲に引き留められてしまっているのですから。
解説
朝廷からの招きを断り、山野に生きる意志を示した一則です。九重は幾重にも門のある宮中、仙詔は天子の詔を美しく言ったものです。天子の詔を鳳凰がくわえて届けるという言い方は、隠者を招く使いの尊さを表します。しかし著者は、その使いを出すのはやめてほしいと言います。野心は、今日言う野望の意味ではなく、野に遊び自然を愛する心のことです。その心はすでに白雲に留められて、もう山から離れられないというのです。白雲は隠者の住まいの象徴で、南朝の陶弘景が、山中に何があるかと問われて白雲が多いと答えた詩はよく知られています。名誉よりも自分らしい生き方を選ぶ潔さが感じられます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
隠逸白雲名利自然志
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