酔古堂剣掃 / 集綺・梅に高韻無くんば
鶴有累心猶被斥,梅無高韻也遭刪。
書き下し
鶴に累心有らば猶ほ斥けらる、 梅に高韻無くんば也た刪らる。
現代語訳
鶴でさえ、心に俗なわずらいを抱けば退けられ、梅でさえ、気高い風韻がなければ切り捨てられます。
解説
高潔の象徴とされるものでも、その本質を失えば価値がなくなることを説いた一則です。鶴は俗世を離れた仙人の鳥、梅は寒さに負けず清らかに咲く花として、どちらも文人に愛されてきました。しかし鶴であっても累心、すなわち俗事にとらわれた心を持てば退けられ、梅であっても高い風韻がなければ枝を刈られると言います。肩書きや名前が立派であることよりも、中身が伴っていることが大切だという教えです。名門の出身であること、立派な役職にあること、有名な会社に勤めていることは、それだけでは人を高めません。自分の拠り所となっている看板に、中身が追いついているかを問い直させる句です。
この章句が説くこと
修身品格本質清高自省
関連する章句
-
『酔古堂剣掃』集韻・玉を蘊み珠を含むが如し清姿は雲に臥し雪を餐ふが如く、天地も盡く其の塵汙を愧づ。雅致は玉を蘊み珠を含むが如く、日月も轉た其の泄露を嫌ふ。
-
『酔古堂剣掃』集綺・綠篠清漣に媚ぶ石上の酒花、幾片の濕雲夜色に凝り、 松間の人語、數聲の宿鳥朝喧を動かす。 媚の字は極めて韻あり、出すに清致を以てすれば、則ち窈窕として但だ風神を見、附するに妖嬈を以てすれば、則ち做作して畢く醜態を露はす。 芙蓉の秋水に媚び、綠篠の清漣に媚ぶるが如くにして、方に跡を著けず。
-
『酔古堂剣掃』集韻・莓苔に淡冶の光を生ず高士流連すれば、花木に清疏の致を添へ、幽人剝啄すれば、莓苔に淡冶の光を生ず。
-
『酔古堂剣掃』集韻・塵埃も犯す可からず襟韻灑落たること晴雪秋月の如く、塵埃も犯す可からず。
-
『酔古堂剣掃』集韻・風月の場に傖父を插む田舍兒強ひて馨語を作せば、俗因を博し得、風月の場に傖父を插み入るれば、便ち惡趣と成る。
-
『酔古堂剣掃』集綺・書生に寒酸の氣無し武士に刀兵の氣無く、書生に寒酸の氣無く、女郎に脂粉の氣無く、山人に煙霞の氣無く、僧家に香火の氣無ければ、 一番の世界を換へ出し、便ち世上に少くべからざるの人と爲る。