酔古堂剣掃 / 集綺・時に書して筆を養ふ
古人養筆,以硫黃酒;養紙,以芙蓉粉;養硯,以文綾蓋;養墨,以豹皮囊。小齋何暇及此!惟有時書以養筆,時磨以養墨,時洗以養硯,時舒卷以養紙。
新字:古人養筆,以硫黄酒;養紙,以芙蓉粉;養硯,以文綾蓋;養墨,以豹皮嚢。小斎何暇及此!惟有時書以養筆,時磨以養墨,時洗以養硯,時舒巻以養紙。
書き下し
古人筆を養ふに、硫黃酒を以てし、紙を養ふに、芙蓉粉を以てし、硯を養ふに、文綾の蓋を以てし、墨を養ふに、豹皮の囊を以てす。 小齋何ぞ此に及ぶに暇あらん。 惟だ時に書して以て筆を養ひ、時に磨りて以て墨を養ひ、時に洗ひて以て硯を養ひ、時に舒卷して以て紙を養ふ有るのみ。
現代語訳
昔の人は、筆を養うのに硫黄を混ぜた酒を用い、紙を養うのに芙蓉の粉を用い、硯を養うのに綾絹の蓋を用い、墨を養うのに豹の皮の袋を用いました。私の小さな書斎では、どうしてそこまで手が回りましょうか。ただ、ときどき字を書いて筆を養い、ときどき磨って墨を養い、ときどき洗って硯を養い、ときどき広げたり巻いたりして紙を養うだけです。
解説
文房四宝、すなわち筆、墨、紙、硯の手入れについて、昔の人の贅沢な方法と自分の素朴な方法を比べた一則です。前半は、硫黄酒、芙蓉粉、綾絹の蓋、豹皮の袋と、凝った道具で四宝を大切に保存した古人のやり方を並べます。後半では、自分の小さな書斎ではそんな余裕はないと言いながら、実際に使い続けることこそが最良の手入れだと述べます。筆は使わなければ固まり、硯は洗わなければ汚れ、紙はしまい込めば傷みます。道具は飾って守るより、日々使うことで生きるという考え方です。高価な道具をそろえることより、毎日手に取ることが大切だという教えは、楽器やスポーツ用品など、今日のあらゆる道具にも当てはまります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
文房道具習慣清貧学問
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