茶の本 / 第五章 芸術鑑賞・世人は耳によって絵画を批評する
実に遺憾にたえないことには、現今美術に対する表面的の熱狂は、真の感じに根拠をおいていない。われわれのこの民本主義の時代においては、人は自己の感情には無頓着に世間一般から最も良いと考えられている物を得ようとかしましく騒ぐ。高雅なものではなくて、高価なものを欲し、美しいものではなくて、流行品を欲するのである。一般民衆にとっては、彼らみずからの工業主義の尊い産物である絵入りの定期刊行物をながめるほうが、彼らが感心したふりをしている初期のイタリア作品や、足利時代の傑作よりも美術鑑賞の糧としてもっと消化しやすいであろう。彼らにとっては、作品の良否よりも美術家の名が重要である。数世紀前、シナのある批評家の歎じたごとく、世人は耳によって絵画を批評する。今日いずれの方面を見ても、擬古典的嫌悪を感ずるのは、すなわちこの真の鑑賞力の欠けているためである。
新字:実に遺憾にたえないことには、現今美術に対する表面的の熱狂は、真の感じに根拠をおいていない。われわれのこの民本主義の時代においては、人は自己の感情には無頓着に世間一般から最も良いと考えられている物を得ようとかしましく騒ぐ。高雅なものではなくて、高価なものを欲し、美しいものではなくて、流行品を欲するのである。一般民衆にとっては、彼らみずからの工業主義の尊い産物である絵入りの定期刊行物をながめるほうが、彼らが感心したふりをしている初期のイタリア作品や、足利時代の傑作よりも美術鑑賞の糧としてもっと消化しやすいであろう。彼らにとっては、作品の良否よりも美術家の名が重要である。数世紀前、シナのある批評家の嘆じたごとく、世人は耳によって絵画を批評する。今日いずれの方面を見ても、擬古典的嫌悪を感ずるのは、すなわちこの真の鑑賞力の欠けているためである。
書き下し
実に遺憾にたえないことには、現今美術に対する表面的の熱狂は、真の感じに根拠をおいていない。われわれのこの民本主義の時代においては、人は自己の感情には無頓着に、世間一般から最も良いと考えられている物を得ようとかしましく騒ぐ。高雅なものではなくて、高価なものを欲し、美しいものではなくて、流行品を欲するのである。一般民衆にとっては、彼らみずからの工業主義の尊い産物である絵入りの定期刊行物をながめるほうが、彼らが感心したふりをしている初期のイタリア作品や、足利時代の傑作よりも、美術鑑賞の糧としてもっと消化しやすいであろう。彼らにとっては、作品の良否よりも美術家の名が重要である。数世紀前、シナのある批評家の歎じたごとく、世人は耳によって絵画を批評する。今日いずれの方面を見ても、擬古典的嫌悪を感ずるのは、すなわちこの真の鑑賞力の欠けているためである。
現代語訳
実に残念なことに、今の美術に対する表面的な熱狂は、真の感じに根拠を置いていません。この民主主義の時代には、人は自分の感情に無頓着なまま、世間一般で最も良いと考えられているものを得ようと騒々しく騒ぎます。高雅なものではなく高価なものを欲し、美しいものではなく流行品を欲するのです。一般の人々にとっては、自分たちの工業主義の産物である絵入りの雑誌を眺めるほうが、感心したふりをしている初期のイタリア作品や足利時代の傑作よりも、鑑賞の糧として消化しやすいでしょう。彼らにとっては、作品の良否より美術家の名が重要です。数世紀前に中国のある批評家が嘆いたように、世の人は耳で絵画を批評します。今日どの方面を見ても擬古典的な嫌悪を感じるのは、この真の鑑賞力が欠けているためです。
解説
この章句が説くこと
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