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酔古堂剣掃 / 集奇・南山の薇を采る

論名節,則緩急之事小;較生死,則名節之論微。但知為餓夫以采南山之薇,不必為枯魚以需西江之水。

書き下し

名節を論ずれば、則ち緩急の事小なり。 生死を較ぶれば、則ち名節の論微なり。 但だ餓夫と爲りて以て南山の薇を采るを知り、 必ずしも枯魚と爲りて以て西江の水を需たず。

現代語訳

名誉と節操を論じるならば、差し迫った暮らしの事などは小さなことです。生きるか死ぬかを比べるならば、名誉と節操の議論などはささいなものです。ただ飢えた男となって南山のわらびを摘むことを心得ていればよく、干からびた魚となって西江の水を待つ必要はありません。

解説

名節と生死という二つの重さを並べたうえで、自分の取る道を示した一則です。初めの二句は、名節から見れば暮らしの急は小さく、生死から見れば名節の議論も軽いと言い、どちらも一面の真実だと認めます。そのうえで結びの二句が答えを出します。南山の薇は、周の粟を食べずにわらびを摘んで飢えた伯夷・叔斉の故事を思わせます。枯魚と西江の水は『荘子』外物篇の話で、車の轍の水たまりの魚が、遠い西江の水を引いてやろうという約束に、それなら干物屋で探してくれと答えたものです。当てにならない援助を待って身を落とすより、自分の足で立って清く飢えるほうを選ぶ、という覚悟が読み取れます。

この章句が説くこと

名節清貧自立節操覚悟

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この一句を、あなたの毎日に。

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