酔古堂剣掃 / 集奇・大千の外に更に何物か有る
世界極於大千,不知大千之外更有何物;天宮極於非想,不知非想之上畢竟何窮。
書き下し
世界は大千に極まるも、知らず大千の外に更に何物か有るを。天宮は非想に極まるも、知らず非想の上に畢竟何ぞ窮まるを。
現代語訳
世界は三千大千世界で果てとなるといいますが、その大千世界の外にさらに何があるのかはわかりません。天の宮殿は非想天で極まるといいますが、その非想天の上に結局何が窮まっているのかはわかりません。
解説
仏教の宇宙観を踏まえて、果てのさらに外を問う一則です。大千は三千大千世界のことで、仏教では須弥山を中心とする一つの世界が千の三乗集まったものを、一人の仏の教化する範囲とします。非想は非想非非想処天のことで、天界の最も高いところ、有頂天とも呼ばれます。世界の果てや天の頂が説かれても、その先には何があるのか、と筆者は素朴な問いを投げかけています。どれほど大きな枠組みを知っても、その外にはさらに未知が広がっているのです。自分の知っていることがすべてだと思わず、その外にある広い世界を思う謙虚さと好奇心を持ち続けたいものです。
この章句が説くこと
仏教宇宙好奇心謙虚学問
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