格言聯璧 / 學問類・古の學者は一善言を得て其の身に附く
古之學者,得一善言,附於其身。 今之學者,得一善言,務以悅人。 古之君子,病其無能也,學之。今之君子,恥其無能也,諱之。 眼界要闊,遍歷名山大川。
新字:古之学者,得一善言,附於其身。 今之学者,得一善言,務以悦人。 古之君子,病其無能也,学之。今之君子,恥其無能也,諱之。 眼界要闊,遍歴名山大川。
書き下し
古の學者は、一善言を得れば、其の身に附く。 今の學者は、一善言を得れば、務めて以て人を悅ばしむ。 古の君子は、其の無能を病むや、之を學ぶ。今の君子は、其の無能を恥づるや、之を諱む。 眼界は闊きを要す、遍く名山大川を歷よ。
現代語訳
昔の学者は、一つの良い言葉を得ると、それを自分の身につけました。 今の学者は、一つの良い言葉を得ると、それで人を喜ばせることに努めます。 昔の君子は、自分が無能であることを気に病んで、学びました。今の君子は、自分が無能であることを恥じて、それを隠します。 視野は広くなければなりません。名高い山や大河を広く巡り歩きなさい。
解説
古今の学ぶ者を対比する聯で、『論語』憲問篇の「古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす」を具体化したものです。良い言葉を自分の身に付けるか、人を感心させる話の種にするかで、学びの向きが正反対になります。無能を病んで学ぶか、恥じて隠すかの対比も鋭く、できないことを認めるところから学びが始まることを教えます。最後の一句は次の単位の「度量は宏きを要す」と対になり、見聞を広げることを勧めています。聞いた名言を人に話す前に、まず自分の行いに生かしているかを問うてみたくなる一条です。
この章句が説くこと
学問為己謙虚修身見聞
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