酔古堂剣掃 / 集奇・心珠は宜しく獨り朗らかなるべし
一勺水,便具四海水味,世法不必盡嘗;千江月,總是一輪月光,心珠宜當獨朗。
新字:一勺水,便具四海水味,世法不必尽嘗;千江月,総是一輪月光,心珠宜当独朗。
書き下し
一勺の水も、便ち四海の水味を具ふ、世法は必ずしも盡く嘗めず。千江の月も、總て是れ一輪の月光、心珠は宜しく當に獨り朗らかなるべし。
現代語訳
ひと匙の水にも、四方の海の水の味がすべてそなわっているのですから、世の中のならわしをいちいちすべて味わう必要はありません。千の川に映る月も、すべてはただ一輪の月の光なのですから、心の珠はただひとり明らかに輝いていればよいのです。
解説
仏教的な世界観を、水と月のたとえで語った対句です。一勺はひと匙ほどの少量、四海は四方の海、つまり天下です。ひと匙の水にも海の味がすべて含まれているように、少しを知れば全体がわかるのだから、世法、すなわち世間のならわしや経験を何もかも嘗める必要はないというのです。後半の千江の月は、千の川に映る月もすべて天上の一つの月の光だという禅の言葉を踏まえています。心珠は心を宝珠にたとえた言葉で、外に映る無数の姿を追わず、心の本体を明るく保てばよいのだというのです。あれもこれもと手を広げるより、一つのことを深く味わうほうが、本質に近づけることがあります。
この章句が説くこと
禅本質心境修養知足
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