酔古堂剣掃 / 集奇・壽百歲と雖も猶ほ夭のごとし
人生不得行胸懷,雖壽百歲,猶夭也。
新字:人生不得行胸懐,雖寿百歳,猶夭也。
書き下し
人生胸懷を行ふを得ずんば、壽百歲と雖も、猶ほ夭のごときなり。
現代語訳
人生において胸に抱いた思いを実行できないのなら、たとえ百歳まで生きたとしても、若死にしたのと同じです。
解説
長く生きることより、思いを遂げて生きることが大切だと言う一句です。胸懐は胸に抱いた思い、志や願いのことです。寿百歳は百歳まで長生きすること、夭は若くして死ぬことです。どれほど長く生きても、自分が本当にしたいことを何一つできずに終わるなら、その人生は短く終わったのと変わらないというのです。命の長さではなく、その中身が人生の価値を決めるという、痛切な言葉です。もちろん、思いのすべてを遂げられる人はまれです。けれども、何もしないまま年を重ねることだけは避けたいものです。胸に秘めている願いがあるなら、小さな一歩でも今日から踏み出してみましょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
立志人生実行胸懐覚悟
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